比宇宙更遥远的地方

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分类:动画  日本 2018

简介: 玉木真理(水濑祈 配音)是就读于多多良西高中二年级的女生,生性活泼开朗的她是一个 详情

更新时间:2018-03-24

比宇宙更遥远的地方影评:【轉載】宇宙よりも遠い場所:第12話『宇宙よりも遠い場所』感想ツイートまとめ

原文地址(須翻): http://lastbreath.hatenablog.com/entry/2018/03/21/114837

宇宙よりも遠い場所 第12話を見る。
そして、最後の旅がはじまる。母を追い求め、覚めない夢を生き続けた少女は、分厚い氷を踏みしめて死地へと進む。
終わることへの恐怖、終わらないことへの恐れ。敵のいない白い浄土の中で、彼女自身の声と、彼女が手に入れたものが時計を先に進める。

というわけで、報瀬の冒険が終わる回である。
自分自身で積み上げたもの、その過程で手に入れてきたもの、勝手でヘンテコな仲間たちの抱擁、志を同じくする大人の助け。
ここまでの物語すべてが必要で、ここまでどうしても掴み取れなかったものを手に入れて水が溢れ出す。ずっと堰き止められていた涙が

前回『敵』を前に、超かっこいい所を見せていた報瀬だが、今回は冒頭からぽやーっとしている。
それは今日始まったことではなく、唐突に母をもぎ取られ、死別の実感がないまま生き延びてしまった報瀬の、三年間の風景である。伸びてくる死人の手を振り払って、彼女は何とか生き残ってきたのだ。

今回はいしづかあつこの天才が画面とシーンのあらゆる場所からほとばしる傑作であるが、冒頭、母の著書を横に薄暮に微睡む報瀬が、暗喩として完璧である。
愛した母の望みを塗り込めた位牌を抱いて、報瀬はガムシャラに前に進んだ。それは救いであり、生きるための羅針盤だ。

しかし報瀬は常に、母のいる死者の国に誘惑されている。形の見えない、曖昧で哀しい色合いに己を染めつつ、『そんなン知らん』と吠えて、元気でバカな小淵沢報瀬を奮い立たせてきた。
彼女は生と死、両方の岸に立つ母に引っ張られて、夢を生きている。

昼と夜との境界線に身を置く報瀬の顔色は、死人のように白い。母が連れ去れれた領域に半分体をおいて、生きることを夢見続けている報瀬が、けして表に出さなかった剥き出しの顔。
それが、物語の出だしを飾る。生き死にを語るエピソードに相応しい、茫漠とした美麗である。

報瀬が夢を見続けるのは、一種の防衛本能だとも思う。
『母は死んでしまって、もう帰ってこないのだ』と実感したい。それは本当のことで、そうでなければ前には進めないことを思い知っているから、しゃくまんえん貯めて『南極』に来たのだ。
だがそれと裏腹に、母の死を受け止めるのが怖い気持ちもある

何しろ誰よりも愛していた人だから、もう会えないと思い知るのは辛い。
それは前回立ち向かった『切り捨ててもいい過去』とは違う、『切り捨てられない過去』『切り捨ててはいけない過去』『切り捨てればもう己ではいられない過去』なのだ。

母の死を実感することは、自分を繋ぎ止めていたへその緒を切断すること。その痛みと喪失を避けるべく、報瀬の気持ちが現実感にフィルターを掛けた結果が、『夢のような南極』なのだろう。
そして同時に、報瀬は夢から覚めたいとも思っている。それはどうしようもなく事実なのだ。

そのことを確認するように、報瀬はぼんやりとそぞろ歩き、周囲の人は放っておかない。
弓子さんが報瀬の様子を気にかけて、その言葉から南極調査隊全員が子供を気にかけていることが判る。バーベキューもやってくれるし、あったけえ大人たちだ…時々バカだけど。

今回報瀬がぽややん美少女やれているのは、南極には『敵』がいないからだろう。自分の仕事を果たしつつ気にかけてくれる大人、暑っ苦しく前に出てくる仲間。
厳しい南極の気候ですら、もう『敵』ではない。常にそばにいて、付き合い方を考える隣人。母が憧れ、見ていた景色。

報瀬はこの世とあの世の境界線でフラフラしているので、仲間としては見過ごせない。
ここで踏み込むのがキマリなのは、物語の始点に帰ってきた感じもあって素晴らしい。他人の痛みに共感し、時に無神経なほどに踏み込める彼女の『個性』が、役割を連れてきた感じもある。

キマリの家族はあったか家族である。大好きな卵料理も作ってくれるし、誰も欠けて失われることはない。
報瀬が身を置く、寄る辺ない生死の狭間とは大違いだが、そこを自分の領域だと思い込める幼さが、キマリの良さだと僕は思う。よく泣いて、よく抱きしめる。そういう自分を止められない。

キマリも日向も、報瀬に『ここに連れてきてくれてありがとう』と言う。流体的な感情を固定し、言葉にする。
それはとても大事なことだが、報瀬もまた、自分が引っ張り込み、運命が結びつけた親友たちがいたからこそ、ここにいられる。ありがたさはお互い様なのだ。

母に守られている子供たちのおせっかいな手助けは、報瀬を完全に救いはしない。思い込みしか手に入れられない不完全な人間にとって、他人の心や状況を自分のものにすることは、不可能だ。
それでも、報瀬を生きる岸に留めるのは、他人の手なのだ。彼女自身が採った、仲間たちの手なのだ。

放っておけるのはいい友情。
バーベキューのときは朗らかなジョークだった言葉は、報瀬が母の死を痛感するラストシーンで、別の角度から照射される。
三人は扉の前で、報瀬の離別(あるいは母なき世界への産声、夢から醒めた証明)を聞く。同じ部屋には入らない。入れない。

それでも壁一つ隔てて『そこ』にいるし、『そこ』に報瀬を連れてきたのは、バカな望みを振り回して、母の名残を必死に探して、南極で余計な時間を使って形に残る何かを探そうとしたのは、あの三人なのだ。
他ならぬ報瀬が『南極』に連れてきた、あの三人なのだ。

吟もまた、魂を分け与え背中でみちびき、また報瀬の真っ直ぐな勇姿に生き方を教えられてきた。
そんな彼女が、ひっそりと階段を共有して思いを伝えるシーンは、非常に良かった。同じ女を愛し、どうしても『南極』に来るしかなかった、年の離れた同志である。

なぜ、母を追うのか。
共に問われ、自分に問いかけるシーンで、『涙を誘引する』玉ねぎを使っている所が、ホントこのアニメらしい才覚だとおもう。
玉ねぎは剥けば剥くほど虚空に近づく。死の冷気に当てられ凍りついていく心を掘り返しても、答えは出てこない。涙も出てこない。

下を向いて、自分の薄暗い過去と思いばかりを掘り返す報瀬。
画面は全体的に薄暗く進むが、吟の言葉がきっかけとなり、世界に明かりが灯りだす。
『結局、自分』
身勝手な爆走超特急をゲラゲラ笑いつつ、本気で尊敬しつつ見ていた視聴者が、帰ってきて欲しい報瀬がそこに入る。

『お前はとんでもなく凄いことを、尊いことをやり遂げてきたんだよ!』という視聴者(つうか俺)の声をすくい上げるべく、しゃくまんえんが一枚一枚並べられる。
それは仮想の価値であると同時に、汗水たらして積み上げた貴重な銭金である。『南極』を目指した思いそのものである。

なんとなく、意味もわからないまま貯めた金じゃない。
身を切られるほどに痛く、もう一度会いたいと思った。
止まった時間を、動かしたいと願った。
その思いがあればこそ、一万円一つ一つを積み重ねて、ゼニを貯めた。触れれば、どんな仕事で貯めたか思い出せるほど、そのゼニは重い。

自分は確かにやってきた。これだけの重たいものを積み上げなきゃならないほどの切実さ、現実感があったからこそ、『南極』に来た。
第1話の段階では笑いの道具ですらあった『しゃくまんえん』は、シンガポールでの命金を経由し、ここで報瀬の過去の凝集、見失いかけた思いそのものへと表情を変える。

そすいて世界が動き出して、南極内陸への旅がはじまる。
存外夏の南極は暖かく、『日常』があると見せた第9話から南極篇は始まったが、今回はその時無責任に僕らが思い描いていた、極寒のスペクタクルとしての南極が、存分に吠える。
一歩間違えれば死にかねない、厳しい自然。貴子が死んだ場所。

そこにも歌があり、思いがあり、笑いがある。
バナナで釘が打てるか試す遊びがあって、一回失敗して、二度目は見事にやる。ここら辺の笑いの作り方ホント天才だと思うけども、重たくて苦しいばっかりじゃない。
それもまた、報瀬自身が必死に走ったから、掴み取れた実感なのだ。

『家』として機能していた基地を出て、寒さが喉を焼く内陸部へ。死に接近していく物語と合わせて、だんだん環境が厳しくなる。
そこでもタフに仕事をし、ヘリの揺れにも慣れた子供たちの姿が頼もしい。ガキの成長物語として、『仕事ができるようになる』様子を最大限活用しているところも、強いね。

かくして車列は約束の場所にたどり着き、吟は哭く。頼れる大人が初めて見せた感情に、少し動揺する子供たちの姿が瑞々しい。
そして、事ここに至っても報瀬は泣けない。堰は切れず、水は溜まり続ける。泣けないことは、哭くより哀しい。その痛みを敏感に感じ取って、キマリと仲間が走る。

母を失った自分を、哀しい存在だと思えるのなあ、報瀬は『南極』まで来ていない。
泣けるかもしれない、溜まった水を開け放って旅立てるかもしれない。
その渇望に突き動かされつつ、それでも泣けない自分をどこか客観的に見ろしている彼女には、哭けない哀しさもまた、遠い場所にあるのかもしれない。

しかしキマリは、哭けない哀しさ、知らない寂しさに死ぬほど敏感な女である。友情を知らないまま求めて、友情契約書を差し出した結月を抱きしめ、代わりに号泣する女である。
そんな女が、親友が泣けないまま、何も得れないまま立ち尽くしている姿を見る。止まってるはずがない。

前回日向が立ちすくんでいた、物分りの良い岸辺。そこから飛び出さなきゃ心が死んでいくけど、どうしても踏み込めない賢さ。
前回そこをぶっ壊した報瀬は、今回立ちすくむ当事者だ。だから、それは彼女のバカさに救われてきた全員が担当する。アホみたいに走って、バカみたいに探し回って、諦めない。

そこで見つけたのは、ダイレクトな死体ではなく、通信を受け取る機械である。人と人をつなげるツールをかなり肯定的に、また残酷に使いこなしてきたこのアニメらしく、報瀬にすべてを教えるのもまた、通信機器だ。
人との繋がりを具象化するアイコン。メールボックス。

PCを付ける前の報瀬の顔色は、アバンと同じく死人の表情だ。しかし、母の遺品であり心をつなげる機械の電源をいれると、青い光が血色を取り戻させる。
号泣を経て、報瀬はようやく生の岸に帰ってくる。その予言として、まず顔色が生者のものに戻るのだ。

このアニメ、『語らず、だが解らせる』演出が死ぬほど巧いわけだけど、暗証番号のシーンから片っ端、セリフがない。
だが、判る。『理解ってくれ…』という、血を絞り出すようなメッセージが、緊張感のある場面運びと濃密な情報量から溢れる。
一回目は母の、二回目は娘の誕生日。それがパスワードだ。

背面に貼った写真のように、母は娘を思い続けてきた。
画面が切り取るあらゆるモノが、無言で愛を叫び続ける。それが喪失されてしまった、決定的な痛みも。それが報瀬に押し寄せる、ブリザードのような鋭さも。
報瀬はたどり着いた。求め、恐れていたゼロポイント、母の遺骸の前に。

そこから溢れてくるのは、母の遺志『ではない』。
これまで作中でも幾度も送信された、行き先を知らないボトルメール。死人に掛ける言葉もなく、しかし諦めることも出来ない彼女が積み上げ続けてきた、巨大な空疎。
南極の遅い回線が、その膨大な量を一手一手積み上げる。

メールボックスから溢れる手紙は、報瀬の思いの総量だ。そして同時に、それを母が受け止めてくれなかったこと、冥界という『宇宙よりも遠い場所』へ引き離されてしまったことを、圧倒的に雄弁に語ってくる。

私はお母さんにもう一度会いたくて、話がしたかった。
でも、もう届かない。

その残虐な実感が、報瀬の心を抉る。
どうしても欲しくて、絶対に叩きつけられたくなくて。裏腹な矛盾を押し流すように、他でもない自分が送り続けた過去が、時間を飛び越えて積み重なる、積み重なる。
その質感を前に、報瀬の夢はようやく覚める。目を開けると死がある。生がある。在があり不在がある

それはごくごく当たり前の現実で、しかし報瀬は母を奪われて以来、そんな世界には生きていなかった。
友を守り、不屈の想いで突き進む勇姿の奥に、生き死にの曖昧な夢、母との想い出に微睡める幸福を、ずっと抱えていた。
そして、それではいけないと思ったからこそ、彼女は『南極』へ来たのだ。

報瀬の号泣は、母なき世界への産声である。
そしてようやく、母が死んだのだと自覚したことで、真実死んでしまった母を思い、弔い、自分の哀しみと向かい合うことが出来た証明でもある。
扉越しにその叫びを聞いて、友は泣く。幸福と哀しさが入り混じって、眦から溢れる。アンタも俺も泣く。

報瀬に『おめでとう』と言うべきかは、少し迷う。
なにしろお母さんが死んでしまったのだ。前回『人が傷つくってのは、そういうことだ!』と吠えたのは、母がいない痛み、喪失の傷をずっと抱えてきたから、実感があったのかもしれない。
それが抉り出され、答えが決定的に出てしまった。

それは凄く哀しいことだ。『人生、そんなもんだよ』なんてニヒリズムは、あの号泣にはない。
腕をもがれれば痛い、心を折られれば苦しい。
そういう当たり前の感情が、凄まじい勢いでほとばしる姿を見せられて、簡単に『おめでとう』とはいえない。

でも、やっぱこのお話を見て言うべきなのは『おめでとう』だと思う。
行きたいと思った場所。進めたいと思った時間。確かめたいと願った思い。
理由もわからず駆け出したその理由も、それに急き立てられて駆け抜けた歩みも、全部報瀬の中にある。全部本当のことだ。
それが、正しい行き場所を見つけた

その成就は、やっぱり寿ぐべきだと思う。
おめでとう、小淵沢報瀬。
きみが動かしたいと願った時間は、きみが自分の足で歩いた道のりの果てに、その手で掴んだ仲間の助けで、ようやく見つかった。
不安に苛まれながら望んでいたように、どうにか終えることでようやく動き出す物語を、君はこれから歩く

それが、幸福な歩みであることを望んでいます。
そして、あんなにいい仲間に恵まれたのだから、色々厄介なこと、どうにもならないことは今までのように襲ってくるけども、前に進めるとも思います。
物語の最初から見据えられ、ずっと目指していた場所にたどり着き、その意味も価値も書ききる話でした。

ほんといしづかあつこの天才を原液で頭から浴びるような仕上がりで、ナローな回線でメールが受信されていく『波』を、第5話ラストで語った『堰から溢れる水』に重ねて演出する技法とか、ぶっちぎりに凄い。
巧さを豪腕でぶん回して、視聴者の脳髄をかっ飛ばす物語筋が、ミスターオリンピアくらいある。

このカタルシスにたどり着いて、さて後一話。毎回最高の最終回であったが、次回本当に最終回である。
すべてを語り尽くしてしまったようにも、まだ語りたり内容にも感じるが、一つ確かなのは、最高の最終回になる、ということでしょう。
ほんといいアニメだ。来週も楽しみ。

よりもい追記
オゾンホール観測用の気球を上げるシーンが12話にあるが、あれは貴子の名前を冠した天文台が、オゾンホールの発見のような大きな価値にたどり着くかもしれない可能性を見せて、ただの感傷ではない科学的・社会倫理的な意味合いへと延長していくシーンなのかもしれない。

南極に封印された怪物を貴子ソードでぶっ倒すような話ではないので、『天文台建設』の価値はちょっと見えにくい。
しかし『南極で宇宙を見上げる』ことで見つかったオゾンホールを書くこと、それが実在する環境問題と密接に関わっていることで、抽象的な墓標が凄く大きなモノに接合する想像が生まれる

いつか、完成なった小淵沢天文台から空を見上げることで、なにか大きなモノが見つかるかもしれない。もちろん、見つからないかもしれない。
あの気球打ち上げのレポートは作品を、時間的にも空間的にも、価値観的にも拡大する面白いシーンだと思った。そういう立体感の把握と描写がとにかく巧い。

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